「東京2020オリンピック」公式映画製作報告会見

2022.03.24
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「東京2020オリンピック」公式映画製作報告会見

製作報告会見

コロナ禍による史上初の一年の延期を含め、様々な不測の事態が起こる中で昨年の7月23日より17日間にわたって開催された「東京2020オリンピック」。その公式映画のメガホンを握るのは、「萌の朱雀」(1997年公開/出演:國村隼、尾野真千子)「殯の森」(2007年公開/出演:うだしげき、尾野真千子)「朝が来る」(2020年公開/出演:永作博美、井浦新)など、多くの映画を手がけ、国際的にも高く評価されてきた河瀨直美総監督。3月24日に河瀨直美総監督が出席して、この公式映画の製作報告会見が都内で開催されました。本作が、表舞台に立つアスリートを中心としたオリンピック関係者たちを描いた「東京2020オリンピック SIDE:A」(6月3日公開)と大会関係者、一般市民、ボランティア、医療従事者などの非アスリートたちを描いた「東京2020オリンピック SIDE:B」(6月24日公開)という、 異なる視点からの二作品の公開となることが発表されました。こちらの記者会見の模様をレポートします。

河瀨直美総監督

河瀨総監督

異例尽くしのこの東京オリンピック。先のオリンピックでは市川崑監督があの素晴らしい映像美と映画作品(「東京オリンピック」1965年公開)として作られたものの後を継いで、作品を作らせていただくことになりました。今日はそのあたりのことを含めて皆さんにお話をさせていただければと思います。よろしくお願いします。

MC

まだ編集中だと伺いました。

河瀨総監督

はい(苦笑)。終わりません(笑)。なぜなら5000時間、750日の時間を一つの作品にするために時間がかかっています。

MC

一昨年の東京国際映画祭でトークをさせていただいた際には、二本になるとはおっしゃっていませんでした。

河瀨総監督

一番はやはりコロナですね。一年延期という異例の事態になって、その時点で撮影も始めていたのでそこから1年間、何を模索して撮ればいいのか? そこを描かないでアスリートたちの模様を描く――これまでの公式映画はそういうものでしたが、それだけでは今回の事態を記録し、この先の未来に伝えていくアーカイブとしての意味がないんじゃないかと思いまして、撮影中から「これは二本撮れたらいいな」というのは考えていたのはありました。

MC

監督のほうから「二本作らせてほしい」という提案を?

河瀨総監督

そうですね。これはやはり歴史上残しておかなければならないものだと思いましたし、オリンピックという平和の祭典の中で何が行われるかを考えた時、コロナが私たちを分断してしまう事態もたくさん見受けられました。答えのない時間を私たちは歩いてきたんだと思います。そのような部分も含めてアスリート中心にした「SIDE:A」、そしてそれを支えた人たち、開催に向けてというだけではなく反対をしている人たちの様子や、たくさんの事情が競技以外のところでもたくさん起こっていたこともあり、それを「SIDE:B」として作らせてほしいとお願いしました。

MC

「SIDE:A」と「SIDE:B」それぞれどのような内容になっているのかお話しいただけますか?

河瀨総監督

「SIDE:A」に関しては、世界中からたくさんのアスリートが参加してくれた東京大会ですが、日本の選手のみならず、たくさんの国からやって来ること、国を代表して参加することの意味を非常に重く持たなくてはならない国の人たちもいました。例えば難民選手団、亡命して自らの生まれた国とは違う国のアスリートとして参加する人、このような部分を丁寧に描いています。
ジェンダーイコーリティ(文化・社会面での男女格差の是正)の問題もいろんな分野であると思いますが、オリンピックの中でも、競技者の数のバランスで言うと、女性アスリートは結婚や妊娠、出産を経てなかなか第一線に戻ってこられないという状況がある中で、それでも"ママアスリート"としてしっかりとメダルを獲得する人たちも今回の大会で見受けられました。私も女性であり、映画監督として映画を作る立場と共に母であり、一人の人間であるというところで、このオリンピックというのは、1等賞を獲るという目先の勝利だけにかかわらない、人生の勝利者になるということを含めて私は描きました。金メダルを獲った人たちだけがこの映画に登場するのではなく人生の勝者たる行いをしている人たちにフォーカスして作品を作っています。

MC

一方で「SIDE:B」はそれを支えた人たちに焦点を当てているということですね。

河瀨総監督

そうですね。アスリートが本当にメダルを獲れるか獲れないかは0.01秒とかの世界の話でもあります。スピードだけでなく、競技にとって美しさやパフォーマンスの部分が評価されることもありますが、なぜそこに些細な差が出るのか? それは底の部分を支えた人たち、軌跡を見てきた人たちの類まれなる時間があるんだろうなと思いました。例えば、コーチやかつて現役選手で、今監督をやっている人たちとか、そういう人たちにもスポットを当てて作品を構築しています。
もちろん組織委員会、IOC(国際オリンピック委員会)、世界の競技の会長などがこの競技を東京に持ってくるためにどれほどの作業と努力、コミュニケーションをもってここまでやってきたのか、克明に表現していきたいと思っています。

MC

コロナ禍を受けて大会も一年延期となりましたし、パンデミック対策に関する舞台裏も様々なことがあったかと思います。

河瀨総監督

そうですね、史上初の無観客の状態で、そこまで準備していた観客を動員するためのシステム、誘導、チケット...そういうものをどうすれば良いのか? そこでも大変な作業が発生しています。コロナ禍で言えばアスリートたちと私たち撮影者も距離を保たなくてはいけないというルールブックがあり、それに則して毎日PCR検査をし、感染症対策の面でも、これまでになく答えのない、しかし安心な競技をしていかなくてはいけない。本当に言い尽くせないことたくさんあります。私たちも距離感、選手との距離が離れたところからしか撮影させてもらえない。自分としては「もう少し近づきたい」「後世に残したい」と思うけれどできないことも含めて作品にしています。

MC

特別映像では森喜朗会長の交代などについての映像もありました。オリンピックの光の部分だけでなく影の部分も描かれているということでしょうか?

河瀨総監督

そうですね、もちろん森会長の退任というところは非常に大きな出来事だったなと思っています。そういった出来事が歴史を作る――あの時、森会長が女性蔑視というか、その発言によって多くの人たちを傷つけることになったということではあるんですが、森会長が本意としたこと、世に出ていく言葉、今の時代、SNSも含めて世界中に情報として瞬時に伝えられていく――このことが、やはり私たち国民、日本の国においてもしっかりとマイクを持って話す時には発言にすごく気を付け、ちゃんと自分の真意を伝える努力をしなくてはいけない。それと同時に、例えば女性蔑視、ジェンダーイコーリティという問題があるとするならば、森会長の発言によってたくさんの人に伝わって、「このままではいけない」と、良い意味で変わっていくきっかけになったとするなら、それはしっかりと記録に残すべきだなと思います。

MC

撮影を振り返って記憶に残っている瞬間、大変だったことなどを教えてください。

河瀨総監督

私は普段、できるだけ少人数で映画を作る人なんですが、今回の大会は33競技339種目というたくさんの現場がありました。それでも小さな単位だったのかもしれませんが、総勢150名のスタッフで撮影を行なっていました。私自身が全ての現場に行くことはできなくて、「この競技の時間とこの競技の時間がバッティングしてしまう」「いままで追いかけてきたこの人の競技には行けない...」そういうジレンマもありながら、スタッフたちに毎日、競技が終わるとスタッフルームに集まってもらって報告を受けることをやっていました。なのでほぼ寝ていないという(苦笑)。それが走馬灯のようによみがえってきますね。でも熱い夏、意識が常にピークになっていて、みんなと共に駆け抜けた稀有な時間だったなと思います。

MC

映像を拝見すると、やはりテレビとは違うアングル、映像が入っているなと思いました。

河瀨総監督

そうですか? ありがとうございます。やはり、自分自身も、記録映画ではあるんですが市川崑さんも言っていたように「純然たる記録ではない、映画である」、物語というものを含み、それを皆さんに伝えていく役割があることを感じています。誰かの眼差しを通してこの熱い夏、2021年の夏を私たちは駆け抜けた、その時、私たちは何を観たのか? それを未来の子どもたち、まだ見ぬ人たちに届けたいと願っています。

MC

公式映画の総監督として、特別に近い立場でこの五輪を見てきて、河瀨総監督にとって東京オリンピックとはどういう大会だったんでしょうか?

河瀨総監督

実は私も高校時代、奈良県代表でバスケットボールの国体選手だったので、アスリートとしての思いを抱えながら、一つ一つのシーンに涙ぐむような感覚で向き合っていました。勝ち負けだけで語れないようなオリンピック、アスリートの皆さん、「ほとばしる汗」とよく言いますが、あんなにも究極の美が出せるんだなと、「美しいな」とアスリートの姿を見ていて思いました。それは全てのアスリートに言えることです。勝った人だけでなく、ここに来るまでに費やしてきた時間、それも本当に美しい。それは人間ととして一瞬の輝きに到達する――その横にカメラを置かせてもらえたことは、元アスリートである私には、かけがえのない時間でした。

MC

一方で無観客であることに強い衝撃を受けたとも伺いました。

河瀨総監督

私の中では最後の最後まで「悔しいな」という思いがありました。それは子どもたちにこの素晴らしい輝きを見せているアスリートたちの姿を、本当の目で観てもらえなかったことです。今の時代、テレビで瞬時に選手たちを観られる環境ではあったと思いますが、やはり彼らの輝きを目の当たりにした時、「僕も、私もあのような選手になりたい」「世界中の人たちを自分の努力や汗や涙や笑顔で元気にしたい」と思う子どもたちが、もっともっとその体験ができたんじゃないかと、それは悔しい思いをしたと、今も思っています。

MC

生でオリンピックを見ることができなかった子どもたちにとって、この映画はどういうものになるでしょうか?

河瀨総監督

私は本当に人間のパフォーマンスもそうですが、心模様、目に見えないものを映画にしてきたつもりです。それが世界の人たちに言語を超えて伝わったゆえんだなと思っています。そのようなアスリートの素顔、競技だけではない素顔を通して皆さんに伝えられたら良いなと思います。

MC

どのような方にご覧いただきたいか、どのようなことを伝えたいですか?

河瀨総監督

本当に人を選んでいる訳ではないです。私たち日本がこの局面でこうした時間を過ごしたこと、その全てを特に若い世代の人たちには見ていただきたいと思いますし、私たちが選択したことが正しかったのか間違っていたのかということも含めて、次の世代の人たちがそれを一つの教科書みたいな形にしてもらえるなら嬉しいなと思います。
「AなのかBなのか?」「 善なのか悪なのか?」ということに限らない、どちらにとっても正義であるというカメラアイ、構成と物語を今一生懸命紡いでいるところです。

■記者による質問

Q

市川崑監督の作品は2時間50分ほどでしたが、最終的に上映時間はどれくらいになる予定でしょうか?

河瀨総監督

5000時間あるので3時間くらいまでにしぼり、最終的に(それぞれ)2時間くらいにできれば良いなと思います。今その最終段階というところです。

Q

公式記録ということですが、今回のオリンピックはこれまでになく批判や問題もあった大会でした。公式記録の視点と監督のジャーナリスティックな視点の部分とバランスが難しいところもあったのではないでしょうか?

河瀨総監督

そのように問われるだろうと思っていたんですが、最近、「萌の朱雀」という自分の最初の映画をじっくり見る機会があって、それを観た時「あの時、私は自分が良いなと思うことをシンプルに描いていたんだな」ということに確信をもつに至りました。
そこからやはり「自分が良いなと思うもの」それは監督としての主観で良いなと思うものでなく、もう一人の私が観客席にいた時、「こういうものを見せられたら良いな」と思うものを真摯に作っていけたら良いなと考えています。「こっちが良いかな?」「こっちかな?」じゃなく、河瀨直美を選んでくれた人がいるなら河瀨直美としてしっかりと世の中にこの映画を出していきたいなと思っています。

MC

「萌の朱雀」といいますと、ある意味で原点に立ち返って作るということでしょうか?

河瀨総監督

そうですね。本当に今はもう作れない映画でした。フィルムで撮っていましたし、撮れるものと撮れないものがあったこと――それもすごく(今回の作品と)似ていました。もう一つは、多くを語らずともしっかりと伝わるものがあるんだということです。多くを語らずとも観てもらったら、映画というものは映像言語でそれを伝えることができるんだということを感じました。

Q

五輪前にお話を伺った際は、一年延びてしまって「アスリートを撮るだけではなくなってしまった」と「二本作りたい」とおっしゃっていましたが、開幕前にすでに400時間ほど撮られていて、コロナもありつつ、コロナだけではない問題もいろいろあったかと思いますが、そういう部分も含めて、今どのような思いでしょうか?

河瀨総監督

コロナだけではない...。日本が変わらなければいけないことがあるんじゃないかなということ、そして、変わらなくてもいいこと...。これをしっかりと受け継がなくてはならないということをしっかり描ければ良いなと思います。
例えば、一個人として考え思っていることと、集団や組織になった時に言えないことがたくさん存在していて、集団になった時に言えないことが「歴史」になっていくということ。集団のありようの中に、「どういった人たちが組織の中にいるのか?」ということはしっかりと考えていかなくてはいけないことなんじゃないかということですね。

Q

今回は開催にあたって賛否がありました。先ほどの特別映像でもデモの映像がありましたが、五輪に反対されたり、批判的な考えを持ってる人にも取材し、そういう部分が映画に反映されていたりするところもあるということでしょうか?

河瀨総監督

もちろんあります。多様な意見があることも事実です。そして、そういう人たちが真摯にインタビューに答えてくださっているものはしっかりと描いていきます。そしてデモの参加者の中には「撮られたくない」という方もいらっしゃいました。そういう方々のことはもちろん撮ることもしないし、この映画に登場することもないと考えています。

Q

先日、起きましたNHKのドキュメンタリーで、河瀨監督は直接関係ないかもしれませんが、字幕問題があり、議論が巻き起こってしまいました。こういうことが起こってしまったことについて、河瀨さんはどうお考えですか? 映画に関する騒動ということで、分断があからさまになった出来事だと思いますが、その辺も含めていかがですか?

河瀨総監督

あの番組に関して様々な議論がなされ、「河瀨直美が見つめた東京五輪」という番組タイトルになっていたので「河瀨直美」の名前が出てきて、ある意味注目をされ、「発言の機会を持たないのか?」というお話もありました。答えられることはもちろん答えたいと思いますが、BPOの審議が入っているということもあり、詳しいお話をこの場でするとは適さないということがあります。
ただ、私自身が今いただいたご質問に関して言いますと、本当に真摯に私自身が、私のスタッフたちが、この映画に取り組んでいた姿をドキュメントとしていただいていたと信じていたので、そこに事実ではないことが表現されていたことは残念でならないなと思っています。
反対派の意見というものをしっかりと取り入れて、映画に描くべきだというのは、私たちスタッフの中でも共通の認識で、そのことに対してたくさんの取材を重ねている中で、あのような事実と違うような描き方をTVで、しかもNHKでされているということが、本当に自分にとっては、信じがたいことだったので、驚きとともに残念という形です。

MC

お時間になりましたので、最後に締めのご挨拶をお願いします。

河瀨総監督

ウクライナにたくさんの火がやってきて、今もなお悲しい現実が起こっていることを国民の皆さんも、今まこの場にいる方も感じている最中に、こういった映画の会見をさせていただくのが、正直、今であって良いのかと、個人的には考えています。
なぜなら世界には様々な悲しみと、目を覆いたくなるような出来事が起こっています。エンターテインメントというのはそういう人たちの心にも、できれば光を届けたいという、そういう思いで私は映画を作っています。この、ロシアの侵攻が行われる前から、こういった出来事が起こらないためにも、自分の映画が誰かに届いて、そういった行為がなくなれば良いのにとずっとずっと思い続けています。
北京オリンピックの最中にああいった行為が行なわれてしまうこと自体、オリンピックそのものが平和の祭典であり、平和を掲げていることさえも崩壊していく現実に、今私自身もあるんだなと思っています。
だからこそ、この映画が、東京大会が、今もそしてこれから先も歴史に残り、50年後、100年後の人たちが観た時に「分断を起こさないでほしい」「どうして今ある、ささやかな手のひらに乗るだけの幸せを守ることができないのか?」というような事態にならないでほしいという願いを込めて今日は会見に臨みました。
映画が皆さんにとって光でありますように願っています。公開を楽しみにしていてください。私自身、この映画にたくさんの希望を見出しました。みんなが人生の金メダリストになりますように願っています。今日はありがとうございました。