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「もののけ姫」4KデジタルリマスターIMAX®プレミア試写会舞台挨拶

2025.10.20
  • 完成披露

プレミア試写会舞台挨拶

1997年7月12日の初公開時には、観客動員1,420万人、興行収入193億円という前人未到の大ヒットを記録しました。社会現象を巻き起こし、四半世紀以上が経った今もなお、多くの人々を魅了し続けている宮﨑駿監督作品「もののけ姫」。主人公アシタカとサン、タタラ場に生きる人々、そしてシシ神の森に棲む神々の交錯する運命を描いた同作が、スタジオジブリ監修の最高画質4Kデジタルリマスターとして、10月24日よりIMAXスクリーンに蘇ります。
10月20日に、4KデジタルリマスターIMAX上映を記念して、TOHOシネマズ新宿にてプレミア試写会を実施し、松田洋治さん、石田ゆり子さん、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが登壇しました。28年の時を経て、明かされる制作秘話などが語られました。こちらのイベントの様子を詳しくレポートします。

アシタカ役

松田洋治さん

アシタカ役

サン役

石田ゆり子さん

サン役

プロデューサー

鈴木敏夫さん

プロデューサー

松田さん

本日は、ご来場いただきまして誠にありがとうございます。

石田さん

こんばんは。本日は、ありがとうございます。28年も経って、またこのような形で「もののけ姫」が上映されることをうれしく思います。

鈴木さん

ずいぶん歳をとりました。今日はマスコミの方も多く来ていただいているとうかがいました。ぜひ、いろいろなことを報道していただいて、本作がもう一度ヒットすることを願っております。

MC(映画ライター・金澤誠さん)

本作がIMAXで上映されることについて、どのように思われますか?

松田さん

こちらの映画館には、しばしば来るんですが、この大きなスクリーンで「もののけ姫」を28年ぶりにIMAXの画質と音質で観られることに期待しております。

石田さん

画面の大きさに本当にびっくりしております(笑)。ものすごい没入感だと聞いておりますので、とても楽しみにしております。

MC

松田さんと石田さんが揃う機会というのは、なかなかないと思いますので、制作当時のことをお聞きしたいです。お二人は、この役をオファーされた時のことを覚えていらっしゃいますか?

松田さん

僕は、事務所から「スタジオジブリの新作映画オーディションのため、何月何日に◯◯に行け」とだけ聞かされました。

MC

まだ作品タイトルが決まる前でしたね。

松田さん

はい。オーディションだというので、スタジオに向かったものの、(候補者は)自分のほかに誰もいなくて、演出の方だけがいらっしゃいました。「個別オーディションなのかな」と思って、作品の内容やストーリー、そしてアシタカ役の説明を受けました。どう聞いても物語の主役なので、「オーディション用の声のサンプルとして主人公のセリフを収録するんだな」と思いました。まさか自分が主役をやるとは思っていないので、この作品の何かの役のオーディションだと思っていました。
それっきり何の連絡もないままで…年が明けて、映画館で「もののけ姫」の特報が流れたんですね。それを観た方から、「洋治、すごいね!ジブリの新作の主役やるんだね」と、人から聞いて、知りました。(会場:笑) よく覚えているんですが、「エビータ」(1996年公開)を観に劇場に慌てて行ったら、予告から自分の声が聞こえてきて、「主役やるんだ!」とびっくりしました。(会場:笑)

MC

ということは、松田さんの了承を得ずに、特報に声を使っていたということですか?

松田さん

はい! (鈴木さんの方を向いて)それをやった人は、この一番左側にいると思うんですけどね?

鈴木さん

それはまったくの嘘です(笑)。
先ほど、石田さんが「28年前」とおっしゃいましたが、覚えていないんですよねぇ。今日、いろいろ話をして、ハッと気が付いたんです。松田さんには「風の谷のナウシカ」でアスベルを演じてもらったことを完全に忘れていました。

松田さん

さっき思い出したんですよ。

鈴木さん

(苦笑)。記憶ってね、カッコ良く言えば「過去を振り返らない」。本当のことを言えばほとんど覚えていないんですよ(笑)。ただ、「アシタカの声を誰にするか」は結構ね、悩んだんですよ。それは、よく覚えています。散々悩みましたし、いろいろな声も聞いたんですよ。それで、松田さんになった決め手が「風の谷のナウシカ」のアスベルなんですよ。何でかと言うとね、僕が宮﨑駿に「アスベルの声はどうですか?」と聞いたら、「良かったよ」って言うので、「じゃあ、そうしましょう!」って…、こんな感じでした。

MC

それで、確認を取るために松田さんを呼んだということですか?

鈴木さん

松田さんのお話をうかがっていると、そうだったんですかね?

MC

石田さんはオファーを受けた時のことを覚えていますか?

石田さん

ある日、事務所に行ったら鈴木さんが来ていて……。

鈴木さん

え、本当に?

石田さん

嘘じゃないです(笑)。それで、当時のマネジャーと一緒に、別室で話をしました。
とにかく「スタジオジブリ」と聞いただけで、頭がワッーとなって自分の案件とは思えませんでしたし、「いったい何が起こるんだろう?」と思っていました。

鈴木さん

そうなんだ…。

石田さん

しかも、「もののけ姫」のサン役ということで、「なぜ私なのだろう?」とは思いましたが、天にも昇るほどうれしかったです。

MC

お二人は、台本を読んでみると、かなり難しい役だったと思うんですが、実際どうでしたか?

松田さん

まずびっくりしたのと、あまりに難しいので、何をどうすれば良いのか分かりませんでした。しかも、アニメーションのアテレコの経験が、「風の谷のナウシカ」と短編を数本ぐらいしかなかったので、考えても無駄というか、「当たって砕けろしかない!」と、「自分で何かを考えて…」というレベルではないなと思いました。

MC

石田さんのサン役は、強い女性であり、人間と動物の間という役どころでした。

石田さん

膨大な絵コンテや企画書など、ものすごい量の資料を渡されました。事前にほんとうにたくさんの紙の資料を何度も読みました。サンは、実はあまりセリフがないんです。動きに合わせた息づかいや、立ちのぼる気配、人間であって人間ではない、動物になりたいけれど動物にもなれない、というような不思議な役でしたね。とても難しかったです。

MC

鈴木さんは、「もののけ姫」の企画について、「チャンバラ活劇、時代劇大作にしよう!」と宮﨑さんに提案しましたよね?

鈴木さん

そうでしたね。今思い出しましたが、ちょうど宮﨑駿が還暦になる前だったんです。

MC

(時期的に宮﨑監督の)還暦まではもうちょっとありますね。

鈴木さん

要するに「今を逃したら、こういうアクションものは二度とできない」と考えたのが大きな理由だった気がします。

MC

スタジオジブリ的にも制作期間が足掛け三年でしたし、制作費も20億…最終的には25億円でしたか? やはり最大の大作ですから、そこは賭けでしたか?

鈴木さん

賭けだとしても、やらなきゃいけなかった(笑)。
人間誰しも歳をとりますからね。宮﨑駿がアクション映画をやるなら、あの時しかなかったんです。スタジオジブリが独立をして、アニメーターたちが力をつけてきた時で、…そういう幸運もありました。それと同時に、宮﨑駿がいろいろな作品をやり、「紅の豚」(1992年公開)がおかげさまで皆さんに受け入れられたので、「お金を使えるのは今だな」となりました。大体プロデューサーはそういうことを考えるんです(笑)。

MC

そういう意味では、スタジオジブリがお金も使えるし、スケジュールも余裕をもって取れる充実した時期だったんですね。それだけにアフレコにも時間をかけたことが、メイキング映像からうかがえます。リテイクもしているように見えるのですが、いかがでしょうか?

松田さん

アテレコは十回以上行っています。洋画の吹替や他の映画の日数と比較すると、考えられないぐらいの回数やりました。リテイクというか、OKが出ないので、一旦収録が止まると大変なことになるんですよ。割とスムーズに行くことは多いんですが、“何か”で止まると、地獄が待ち受けているんです。
でも、宮﨑さんの素晴らしいところは、誰に対しても対応が同じことですね。僕だろうと田中裕子さん(エボシ御前役)だろうと、相手がどんな方でも、納得がいくまで宮﨑さんはとことんこだわるんです。それは平等ですごいなと思いました。

MC

それは美輪明宏さんや、森繁久彌さん、森光子さんに対しても、そうだったということですか?

松田さん

そこは、僕とは別録りだったので、分かりません。でも、スタジオで僕らが録っていた時は平等でしたよね?(と石田さんに同意を求める)

石田さん

(深くうなずく)。

鈴木さん

森繁さんだけはだめでしたね(笑)。(会場:笑)
今思い出しましたが、(森繁さんは)絶対に言うことを聞いてくれないんですよ。アフレコって、絵ができ上がってから声を入れるので、口が開いている時間が決まっているんです。だから、「この長さでこのセリフを話してほしい」と伝えても、森繁さんはオーバーするんです。いくら伝えても無視するんですよ。あれはなかなかでしたね(笑)。

MC

石田さんはどうでしたか?

石田さん

(ため息まじりに)私は一番大変でした。一番下手でしたし、それを話すと、これから本作を観る方がそれが気になったら嫌だなと思うんですが…。洋治くんは、上手なので、どんどん終わっていくんです。私一人で居残りすることもありました。

松田さん

でも、僕もアシタカがタタラ場に乗りこむシーン(タタラ場でサンとエボシが戦い、アシタカが割って入る場面)は、途中で宮﨑駿監督から「今日はもう帰れ」と言われて、帰りました。

石田さん

えー!

鈴木さん

(石田さんと同じトーンで)えー!(石田さん:笑)
宮﨑駿がそんなことを言ったんですか?

松田さん

言いましたよ。鈴木さん、その場にいたでしょう?

鈴木さん

僕は、ご飯を食べていたんじゃないかな?

MC

それはサンがタタラ場に乗り込んできて、エボシ御前と戦っている時に二人を気絶させてアシタカが「誰か手を貸してくれ」というセリフのところですよね。別日にまた録ったんですか。

松田さん

はい。別日に録りました。

MC

じゃあ、何十回もやっているんですね。

松田さん

ですですです!! ね?(と石田さんに同意を求める)

MC

石田さんは、サンが人間に怒りをぶつけるシーンを何回もやったと聞きましたが。

石田さん

はい。私が一番覚えているのは、先ほどのシーンの後で、瀕死のアシタカを助ける場面で、何でもないシーンのようで、最も難解でした。記憶では、あそこを最初に録りました…。倒れているアシタカを弟犬が「食べていいか?」と聞いて、サンが「食べちゃダメ」と言うところとか…。「お前、死ぬのか?」と言うところは、「『お前、パンツ履いてないじゃん』っていうくらいの感じで言え」と、宮﨑さんに言われました。(会場:笑)
「お前、死ぬのか?」というセリフを、最初は「死んじゃダメ!」と、一大事なことのように言ったんです。でも、宮﨑さんからは、サンにとっては「アンタ、パンツ履いてないけどどうしたの?」「あ、そうなの」っていう程度の出来事なので、そういう風に言えと…。当時の私には、それがもう難解すぎました(笑)。毎日泣きそうな気持ちでした。夢のようなジブリの仕事なのに、地獄みたいな…そういう不思議な恍惚感がありましたね。

MC

宮﨑監督の演出の仕方は、独特ですね。

石田さん

それは、すごくそう思います! 絶対に甘やかさないし、「ダメなものはダメ」ですし…。私はギリギリまで「この子は辞めさせた方が良いのでは?」と思われていたと思います。

松田さん

それ、製作発表の記者会見の時にも言っていましたよね。

石田さん

それは、今でも覚えています。
私は、今でも「もう一度やり直したい」と思っているんですが、もうあの声は出ないので……(笑)。それぐらい記憶に残っています。

鈴木さん

十年前に、石田さんと会った時にいきなり「サンの声をすべて吹き替えたい。もう一度やり直したい」と言われたんですよ。それが真剣でしたから、本気なんだと分かりました。「今ならやれます。あの時とは違うサンができます」と、真剣な目で迫られました。あまりに真剣だったから、僕も悩んだんですよ。でも、もう一回録り直すってことは、音の作業を全部やり直すんです。「ミックスしてダビングして、それだといくらかかるかな?」って…。だから、僕は何も言葉が返せなくて、黙るしかなかった。だから、あの時の石田さんの言葉は忘れないんです。

石田さん

そのことはちゃんと覚えています。それぐらいあの時(収録時)の反省点が多いんです。

鈴木さん

もう一つ覚えていることがあるんですが、アフレコをしている最中、いろいろ悩みがあったんだと思いますが、確か浜田山で話をしたことがあったんですよ。「ちょっとご飯食べようか?」って、流れから、「これからジブリに行こう」となったことがあったんですよ。覚えている?

石田さん

(首をかしげる)

鈴木さん

「ここからならジブリに近いから」ってことで行くことになったんですが、石田さんに「私は車で来ています。私が運転をするから、車で行きましょう!」と言われました。これは忘れられません。だって、悩んでいる時に、どんな運転をするのか…。

石田さん

それって、古い車ですよね?

鈴木さん

「自分と同じ年の車」だって言っていたね。
こうやって話をしていると、思い出すものですね。

MC

それで、その時の運転はどうだったんですか?

鈴木さん

だから、その時のスタジオジブリまでの道は、僕は生きた心地がしなかったです。しかも、ジブリに行けば、宮﨑駿がいますからね…何を話そうかと悩んでいました。

石田さん

私も話を聞いていて思い出しました。そんなことありましたね。

鈴木さん

それぐらい頑張ってやりました。

MC

石田さん的は「もしかしたら自分は役を降ろされるのではないかと思っていた」というのは、本当なんですか?

石田さん

はい。

鈴木さん

記者会見の時に、石田さんが僕の顔を見て、「私は降ろされるのに何をしゃべったらいいんですか?」って詰め寄られました。

石田さん

(笑)すいません…。そんな事は言っていないと思うんですが……ちょっと待って、あれ?

鈴木さん

その時、「思っていることを全部話せば良い」と、僕は言い返しました。

石田さん

言ってないです。ちょっと待って…。ちょっと脚色されていると思うんですけど…。

鈴木さん

脚色じゃありませんよ。

石田さん

でも、それぐらい私は下手で大変だったというのは事実です。

鈴木さん

しかも、その記者会見で忘れられないのは、会見の最初に映像を流したんです。その映像にはアシタカの放った矢で首が飛ぶシーンがあったんですが、それが流れた後に宮﨑駿が「あの予告編はなんだ!作ったのは誰だ?」っていきなり怒り出したんです。本人は僕が作ったと分かっているくせに(笑)。(会場:笑)その後にいよいよ登壇者一人一人が話すことになり、石田さんが「私は役を降ろされるかもしれない」と言いだしたんですよ。そしたら、宮﨑駿が慌てて「そんなことはしません!」と言い返していました。それは覚えています。

松田さん

それは僕も覚えています!

石田さん

それはたぶん記録に……ビデオの中に残っていますよね。

鈴木さん

あったかな?

松田さん

確かに言っていましたよ!

石田さん

(笑)。

鈴木さん

あれは迫力があったね! あれで一気に宮﨑駿が「全部言うことを聞きます」という状態になりました。アレは本当に記念すべき記者会見でした。

MC

そういうことを乗り越えて、公開された本作は大ヒットとなり、スタジオジブリの一つのターニングポイントにもなりました。
松田さん、石田さんにとって、この作品はどのような作品でしょうか。またヒットについては予想されていましたか?

松田さん

スタジオジブリの新作ですから、ヒットはすると思っていましたが、「これほどとは!」という感じでした。それは、僕だけではなく、上條(恒彦)さん(ゴンザ役)とも話をしました。その当時で言えば「となりのトトロ2」とかならば、家族連れで観るので興行収入60億円とか80億円はいくだろう。でも、「もののけ姫」は、お子さんや家族連れにはしんどい作品だろうから、数字的にはそこまで出ないだろうと、上條さんがおっしゃっていて、「なるほど」と、僕もそう思っていました。映画としての評価は高いけれど、数字は…という結果なんだろうと思っていたんですが、公開してみた結果は「えらいことになったな」と思いました。

鈴木さん

よくそんなことまで覚えているねぇ。でも、本当だよね。それは僕も覚えていますよ。だいたい、東宝さんだって「本当にお客さんが来てくれるのだろうか」と心配になっていたよね? そうだよね?(と、スタッフに確認)。

MC

石田さんはどうですか?

石田さん

私は、スタジオジブリの新作というだけで、すごいことになるのは分かっていました。ただ、子どもたちには「どう受け止めてもらえるのかな?」と、思っていました。宮﨑さんは「この映画を一番深いところで理解しているのは、十歳前後の子どもたちだ!」と話していましたが、それは真実だなと思います。

鈴木さん

本当にそうです。

MC

この作品の声をやったことについての影響や、その後のキャリアはいかがでしょうか。

松田さん

「もののけ姫」という作品がなかった松田洋治と、今の松田洋治では全く違う俳優人生を歩んでいたと思います。私の俳優人生に、もっとも大きな影響を与えた作品であることは間違いないです。

石田さん

私も同じです。「もののけ姫」の影響は本当に大きいです。例えば、海外で「どんな作品に出ていますか?」と必ず聞かれるんですが、最初に「『もののけ姫』でサンの声をやっております」と答えると、ものすごく尊敬されます。それだけで「ワオ!」や「グレート!」と言われるので、さすがスタジオジブリだなと感じます。

MC

アフレコを録り直さなくても、皆さん評価してくださっていますね。

石田さん

そうですね(笑顔)。

鈴木さん

本当にサンの声は良かったんだから! 改めて、ありがとうございました。

MC

本作は、ディズニーとも提携して世界配給をした作品です。ジブリにとってもステップアップした作品の一つだと思います。鈴木さんにとって、「もののけ姫」とはどういう作品でしたか。

鈴木さん

どういうと言われてもねぇ…。
お客さんがいっぱい観てくれたのはうれしかったですね。それは素直にうれしかった。それが一番ですよね。「作品を何のために作るか?」と言ったら、「お客さんに観てもらうため」でしょう。その結果、記録に残る興行収入になったのは名誉です。
「自分たちのために作るんじゃなくて、お客さんのために作ろう」それを改めて気づかせてくれた作品になりました。