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歌から小説、そして映画に繋がった"希望のバトン"を観客へ!!

2015年02月24日

「風に立つライオン」完成披露試写会

<左から、三池崇史監督、萩原聖人さん、石原さとみさん、大沢たかおさん、真木よう子さん、鈴木亮平さん、さだまさしさん>

アフリカで医療活動を行ってきた実在の医師・柴田紘一郎さんの経験を基に、歌手・さだまさしさんが1987年に発表した名曲を実写映画化した「風に立つライオン」が完成いたしました。これを記念して、2月24日、東京・有楽町の東京国際フォーラムにて完成披露試写会が行われ、さだまさしさん他、主演の大沢たかおさん、石原さとみさん、真木よう子さん、萩原聖人さん、鈴木亮平さん、三池崇史監督が舞台挨拶に登壇いたしました。

さださんの名曲に惚れこんだ大沢さんの熱意によって、発表から30年近く経ち、小説化、映画化への道を歩んだ本作。長崎・五島列島のロケに始まり、アフリカ・ケニアでも1カ月以上にも及ぶ大規模なロケを敢行するという、壮大な作品となりました。そんな経緯もあり、大沢さんたちからは、本作への熱い思い入れや、撮影の様子などが生き生きと語られました。大沢さんたちの熱気に、大きな拍手が沸き起こった舞台挨拶の模様をレポートいたします。

大沢たかおさん(島田航一郎役)

本日はご来場ありがとうございます。こんなにたくさんの方に来てもらって、心より感謝しています。この作品は、1987年にさだまさしさんによって発表された「風に立つライオン」という曲がベースになっています。それが2年前に小説になりまして、昨年2014年にこの映画の撮影をしました。撮影が終わったのが12月の中旬でした。本当にできたてほやほやです。一般の人に観てもらうのは初めての機会なので、今日は朝からドキドキして、緊張しています。皆さん、楽しんで帰ってもらえればと思います。
石原さとみさん(草野和歌子役)

本当に幸せな時間でした。初めてアフリカに行ったのですが、大げさな話ではなく、本当に人生観というものを変えさせられた時間でした。宝物のような作品なので、今日こうして初めて皆さんに観てもらえるということ、すごくすごく嬉しいです。私も昨日は眠れませんでした。皆さんは肩の力を抜いて観てください。
真木よう子さん(秋島貴子役)

ご来場ありがとうございます。すごく感動できる作品になっております。
萩原聖人さん(青木克彦役)

こんな痛みに溢れた世の中で、ぜひ観てもらいたい一本になっています。僕も試写会で観てすごく感動した作品です。今日はぜひ楽しみにしていてください。
鈴木亮平さん(田上太郎役)

この映画は、ケニアでのロケが目立ってしまって、どうしてもそちらのことが注目されると思うんですけれども、五島列島とケニアの対比を観てもらうと、これは実は日本の話でもあるんだなということをすごく分かっていただける映画になっていると思います。そういうところを意識して観てもらえれば、より心に残る作品になるのではないかなと思います。
三池崇史監督

かなり緊張しております。この映画を観ると、感動してもらえると同時に、映画を撮ることによって映画監督も社会人として更生できるんだなということを感じて、二つの感動を得られると思います(会場笑)。「やっぱり映画ってすごいんだな。ダメな監督をちゃんとした人間に治してもくれるんだ」と思ってもらえると思います。

さださんの想いから始まったこの映画ですが、それが自分にもできる。ということは、自分たちも島田航一郎のように生きることができるのではないかと、思いました。皆さんが感動する場所、泣ける場所は、その人の人生によってそれぞれ違うと思います。こちらが不用意にまとめて、「はい、ここで泣いて」という演出は多く作っていません。それぞれが自分の気持ちで感じてもらえればと思っています。2時間18分54秒です。ただ、さださんの歌が9分ありますので...(会場笑)。それを引くと、2時間10分ぐらいの映画です。いろいろな意味で楽しんでもらえると思います(笑)。今日はありがとうございました。 
さだまさしさん(原作)

今日はようこそお越しくださいました。映画を長くしました、さだです(会場笑)。この歌は1987年、バブルに入る頃に書きました。実はこの歌を書くまでに15年かかったと、先ほどご案内いただきましたが、アフリカで国際医療を経験したお医者さんからこの話を聞いて、歌にするまでに15年かかったんです。そして、大沢さんを経て、歌ができてから20年以上経ってこうして映画になりました。一番最初に医師からケニアの話を聞いた時から今日までがすっと一本の糸で繋がっていたのかなと思うと、非常に感動します。映画も本当に素晴らしいです。三池監督らしからぬ映画です(会場笑)。意外性のある素晴らしい作品で、僕も感動しました。自分の歌が出てこなかったらオイオイ泣いていたと思うんですけれども、自分の歌は反省材料ですので歌が出てきた瞬間に涙が全部引っ込みました(笑)。そうでない方には非常に楽しんでもらえる、素晴らしい宝物のような映画ができました。監督、キャストの皆さん、本当にありがとうございました。今日はどうぞ楽しんでご覧ください。


MC:この作品はアフリカのケニアや、長崎の五島列島などで撮影を行ったとのことですが、印象に残っていることはありますか?

大沢さん:
僕も長崎の撮影にちょっとだけ参加しているんですが、本当に温かい人たちに囲まれて撮影できました。ケニアでの撮影は本当に過酷で厳しい中での撮影だったんですけれども、その中だからこそ作りあげることができるチームワークなどがあったので、今となってはすべてが良い思い出です。いろいろなものが映像になってこの映画に映っていると僕は信じているので、頑張ってきたことが皆さんに届けばいいなと思います。

MC:マサイ族の方たちとのシーンもありましたよね。印象に残っているエピソードはありますか?

大沢さん:
マサイ族...(笑)。映画を観てもらうと分かるんですが、彼らとヤギを食べるところがあるんですね。彼らが実際に生活しているところに僕らが入って、まるでドキュメンタリーのように撮影しました。ただ前もって撮影のために何頭か持っていったヤギを当日までに全部食べちゃったらしくて...(会場笑)。それがなんで食べちゃったかというと、「オスだったから」というよく分からない理由だったんです(笑)。それで慌ててヤギを1頭連れてきて、なんとか撮影はできたんですけれども...うーん、あまり面白いエピソードじゃなかったですね(会場笑)。

MC:いえいえ、そんな! それは監督も焦りましたよね? 「あれ? ヤギは?」と。

三池監督:
「いや、食べたよ」と言われて(会場笑)。(マサイ族の人たちは)すごく大らかで、「もう1頭持ってくればいいじゃん」という感じでした。届けたヤギが食べられてしまってなくなったということにたじろぐ映画スタッフの小ささを再確認しました(会場笑)。

MC:代わりのヤギを用意できて良かったですね。

三池監督:
いっぱいいるんです(会場笑)。

MC:石原さんもケニアに行かれましたが、いかがでしたか?

石原さん:
過酷でしたね。大量のハエと戦いながらの撮影でした。それと、乾燥地帯なので砂嵐が起こったり...。大沢さんはその砂嵐の目に入りましたからね! スタッフさんは、大沢さんよりもカメラを助けたという...(笑)。

大沢さん:
向こうからやってきたんですよね、竜巻のようなものが(笑)。でも、誰も助けてくれないのでかがみました...(会場笑)。過ぎたら、みんな自分の機材を抱えていました(笑)。

石原さん:
自分の身は自分で守るという感じでした(笑)。

MC:本番中もハエがぶんぶん飛んでくる訳ですか?

石原さん:
そうですね。いいシーンほど止まるんですよね、顔に(笑)。大沢さんもたくさん止まっていましたね。

大沢さん:
僕はそんな止まっていないですけれどね(会場笑)。

石原さん:
え、ちょっと(笑)!



大沢さん:
潤いがなせる技なのか、(石原さんには)たくさん止まっていましたよ(会場笑)。

石原さん:
確かに、保湿すると止まってくるので扇いでいました(笑)。移動も4、5時間ぐらいかかったりして、いろいろと過酷な条件の中での撮影でした。けれど日本映画なのにケニアに行って、ケニアの人たちと、ケニアのものを食べながら、ケニアのお話を撮るってすごく贅沢なことだなと思って、こういう現場に憧れていたので夢みたいな時間でした。

MC:真木さんは長崎の五島列島での撮影でしたが、地元の方が出演されたそうですね。

真木さん:
そうですね。選りすぐられた地元のおばあちゃん、おじいちゃんたちが。

MC:実際に演技をされているんですか?

真木さん:
はい。素晴らしかったです。観てもらえれば分かるんですけれど、本当に島の方なんです。

MC:やりづらいことはなかったですか?

真木さん:
なかったんですよ。本当に選りすぐられた方たちだったので(会場笑)。

MC:監督、これは現地の方がいいなと思われたんですか?

三池監督:
そうですね。五島列島の宇久島と福江島というところで撮影したんですけれど、ケニアの少年たちも含めて、全員役者ではないんですよ。もちろん役者の出す魅力もあるんですが、そこにあるのは本物の強さというか...。特にケニアの少年たちはすごくいいお芝居をするんですよね。それは共演者の演技に引っ張られたんだと思います。それまで一度もお芝居をしたことのない人間がいいお芝居をする。そういう意味で、人間のいろいろな可能性、優しさが入っている映画だと思います。見えない力が一つになってストーリーやお芝居だけでは表現できない何かがこの作品にはこもっています。それは参加してもらったみんなの魂というか、熱というか、そういうものがちゃんと生きていると思います。

MC:さださんも、ケニアと長崎の撮影現場に行かれたそうですね。ケニアに行かれたのは初めてだったそうですが、ご自分が思い描いていたイメージ通りでしたか?

さださん:
15年かけて作った歌ですので、現実を見ることで15年かけて作った(自分の中の)ケニアが壊れたらどうしようと思いながら訪れたのですが、ケニアでしたね。ケニアはケニアです。想像していた通りというか、自分が思っていた通りの場所でした。映画を観てもらうとすぐにお分かりになると思いますが、大沢さんたちがケニアで話しているのは主に英語なんですよね。すると、何を話しているのか分からないから字幕が出てくる。洋画を観ている感覚なんですよ。その一方で、長崎の離島で話すおじいさんやおばあさんのセリフにも、字幕は必要だったかなと思っています(会場笑)。僕はネイティブの長崎っ子なんですけれど、僕でも難解な長崎弁でしたから、あれは字幕が必要だったんじゃないですかね、監督(笑)。
あと、最初に長崎のロケに行かせてもらった時、大沢くんに会うのがすごく楽しみで、「今日は餃子でも食うかな」と思って行ったんですけれど、大沢くんは東京に帰ってしまっていました。監督以外知っている人が誰もいない現場にいました。しかも場所がね...。住所を聞いた時にいやな予感はしたんですけれど...。長崎って石段が多いんですよ。僕の実家も学校から176段かかったんですけれど、それぐらい現場まで歩きましたかね。下からずっと上がっていって、(撮影が終わるまで)上から降ろしてくれなかった。ケニアより過酷でした(笑)。


MC:そんな思いをして行ったのに、大沢さんはいなかった...。

さださん:
大沢さんはいない。監督はイスに座っているし(笑)。



MC:大沢さん?

大沢さん:
なんか帰ったっぽいんですよね(会場笑)。

さださん:
"帰ったっぽい"んじゃなくて、"帰った"んですよ(会場笑)。

MC:入れ違いになっちゃったんですね(笑)。ケニアと長崎と言えば、萩原さんはどちらにも行かれましたね。しかも、現代も過去も演じていらっしゃいましたが、いかがでしたか?

萩原さん:
そうなんですよね。実年齢を演じていないんです。なので、不思議な感覚でしたね。

MC:撮影で一番思い出に残っていることは何ですか?

萩原さん:
やっぱりケニアですね。行ったことがなかったですし、いろいろな先入観があったんですけれど、本当に行かせてもらえて良かったです。そしてまた、映画を観て、大沢さんがいかに大変だったかということを感じましたね。僕と、今日いらしていない石橋蓮司さんは、ケニアにいた割には撮影日数は少なかったので、映画を観て「これは過酷だな」と思いました。でも、その過酷さがいい画になっていました。

MC:どの辺りが大変そうだなと思われましたか?

萩原さん:
もう全部ですよ(笑)。現場でのリーダーシップというか、現場での過ごし方もそうですけれども。我々ケニアチームは監督と大沢さんに引っ張られたという感じです。

MC:子どもたちとも本当に仲が良さそうですよね。あれは演技で出せるものではないように思いましたが。

萩原さん:
みんなかわいいんですよ。自然と情がうつるんじゃないですかね。

大沢さん:
子どもっていうのは世界中変わらなくて、こっちが心を開くとどこまでも開いてくれるし、一緒にいていつまでも遊んでいられるので、その空気のまま監督に本番を撮ってもらいました。絡んでくる時は彼らも本気で絡んでくるので、楽しかったですね。

MC:映画には悪い日本語を教えるシーンなどもありますが、本当にそういうことをしましたか?

大沢さん:
彼らは本当にクレバーで、どんどん撮影現場の言葉を覚えていくんですよね。「本番」とか「ちょっと待った」とか「メイク直し」とか。だから、「え、メイク直しするの?」と思わず聞いたことがありましたね(笑)。それは意味は分からないんだけれど、音で覚えているんです。そういうのもかわいくて、僕はずっと遊んでいました。

MC:鈴木さんは漁師姿が様になっていましたね!

鈴木さん:
それは言われて一番嬉しい言葉です(笑)。監督に最初にお会いする時に、自分の中で「この人はどういう人なんでしょうか?」など、いろいろ質問を用意していったんですけれど、監督からは「とにかくお前は潮の香りだけさせておいてくれ」と言われたんですよ。それで、「潮の香りってどうやったら出るんだろう?」と思いまして、撮影より一日早く入って、その一日、地元の漁師さんにお願いして漁に連れていってもらいました。実際の衣装を着て魚を獲らせてもらって、必要以上に魚をビチビチ衣装につけて、ちょっとでも潮の香りがするようにしていました(会場笑)。そうしたら、「お前、すごく頑張るな」ということで漁師さんの家に呼んでもらって、そのままご飯も食べさせてもらって、最高の一晩を過ごしました。ただ、その日の夜、島の温泉に入りながら、「俺もケニア行きたいな」と悔しい思いをしていたことを覚えています(会場笑)。

MC:監督、鈴木さんから潮の香りはしましたか?

三池監督:
生臭かったね(笑)。潮の香りというのは生きていないと。死にかけている魚の匂いと、潮の香りは違うからね。でも、(鈴木さんの役柄は)あまり語ったりせず、漁師さんとしてそこにいるという役柄なので、逆に役者としては何を頼りに"らしく"見せたらいいのか非常に難しい役だったと思うんです。だから、そうして漁師さんと友達になるのが狙いだったんでしょうね。(鈴木さんは)だいたい世界遺産の話をしていました。漁師さんもとてもいい人で、熱心に魚をさばいてくれたりしました。

鈴木さん:
僕、世界遺産が好きなんですよ。

MC:ケニアにもありますものね。

鈴木さん:
そうなんですよ! 長くなるのでやめておきますが、さださんのもともとの歌の歌詞にも出てくる世界遺産がありますから(笑)。

MC:さださんも、皆さんのこういうお話を聞いていると、さらに感慨深いものがあるんじゃないですか?

さださん:
そうですね。一つ、ケニアという国と日本との繋がりなんですけれど、長崎大学が熱帯医学研究所というのを立ち上げたのがちょうど50年前になるんですよ。だから、ケニアの歴史とほとんど変わらないんですね。昔はナクルの病院を借りて研究したり、へき地医療の医療活動をしたりしていたんですが、今はナイロビに熱帯医学研究所があります。それで、ケニアに行きますと、日本人を見ると「ナガサキ?」と聞いてくるんです。「トウキョウ」でも「オオサカ」でもなくて、「ジャパン? ナガサキ?」と聞かれるんです。これは長崎っ子にとっては、キュンとくるものがありました。つまり、それほど長崎大学の熱帯医学研究所のドクトルジャポネ(日本人医師)は、彼らに非常に深い印象を与えてきた50年だった。これは長崎大学の歴史でもあるんですけれどね。長崎っ子にとっては、ナクルの街中で「ジャパン? ナガサキ?」と言われた時は本当にビックリしました。ナイロビでも同じことを言われました。土地の人にとって、お医者さんというのは非常に尊いものなんですよね。それを長崎大学がずっと繋いできた。この映画ができることを一番喜んでいるのは、長崎大学の先生じゃないですかね。自分たちのバトンがここまで渡ってきたのですから。それだけ付け加えさせてもらいたいと思います。

■最後に、大沢さんからメッセージが送られました!

大沢さん:
改めて、本日はご来場ありがとうございます。こういう舞台挨拶をこれまでたくさんやらせてもらっていますが、この映画「風に立つライオン」に関しては、自分の言う言葉やいろいろなものが空回りするというか、無意味なもののように感じます...とにかくこれは皆さんに観てもらって、感じてもらうことが一番だと、今すごく思っています。最初にも言ったんですけれども、今日ここにいる皆さんが初めてのこの作品の目撃者になります。さっきバトンという話もありましたが、この作品は命のバトンというものがテーマになっています。さださんの音楽から、小説になって、映画になって、そのバトンが最後に皆さんに届くこと、本当にそれだけを願って僕らは今日まで頑張ってきました。公開は3月14日です。今日はたぶん、皆さん、お金を払って観に来ていないと思うので、3月14日以降にもう一度、お金を払って来てもらえると、嬉しいです(会場笑)。ぜひこのバトンを今日は皆さんに受け取って帰ってもらえれば嬉しく思います。本当に心を込めて作った作品なので、皆さん楽しんで帰ってもらえればと思います。