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陰陽師II
陰陽師II 公開終了
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◆「陰陽師」の世界・用語

すべては陰陽につながる…… 陰陽道の世界を探る

(1)陰陽師・安倍晴明 あべのせいめい
平安中期に数々の帝、殿上人から絶大なる信頼を受けた実在の陰陽師。延喜21年(921年)に生まれ、寛弘2年(1005年)に85才で没したと伝えられるが真相は定かではない。その出生に関しても、母は白狐であったという程、晴明にかかわ
る事柄はすべてミステリアスな謎に包まれている。


(2)陰陽五行説 いんようごぎょうせつ
万物は太極から光と闇によって二分する原理「陰陽論」と、世界が木火土金水によって成立つとする「五行説」を組み合わせて森羅万象を説明するのに用いられた哲理。世のすべては陰陽の二気によって生じ、五行のうち木・火は陽に、金・水は陰にそれぞれ属し、土はその中間にあるとし、また五行は天において十干となり、地において十二支となって作用する。これらの消長によって自然と人事の吉凶などを説明する。古代中世においては世の理を分析する最も科学的な理論として定着していた。

(3)陰陽師 おんみょうじ
律令制で定められた政府機関で、禁中の政(まつりごと)を担当する中務省陰陽寮に属する役人。その職務は陰陽道(土地の吉凶を判じる相地および式占)、暦道(暦の作成と吉凶日などの選定)、天文道(占星術)、漏刻(時刻の管理)の四種類に大別される。長官にあたる陰陽頭(おんみょうのかみ)の下、陰陽博士(おんみょうのはくじ)一名と陰陽師(おんみょうのじ)六名、天文博士(てんもんのはくじ)一名、暦博士(りゃくのはくじ)一名、漏刻博士(ろうこくのはくじ)二名で構成される。明治政府が1870年に陰陽道禁止令を発布するまで、陰陽師たちは支配階級から一般民衆まであらゆる階層から敬意を払わていた。陰陽道という概念が日本の生活に古来から息づいていた証といえる。

(4)五芒星 ごぼうせい
陰陽道で五芒星は魔除けの呪符として伝えられ、セーマン印あるいは晴明桔梗印(せいめいきつきょういん)と呼ばれている。印にこめられたその意味は、陰陽道の基本概念となった陰陽五行説、木・火・土・金・水の五つの元素の働きの相克を表したものである。陰陽師・安倍晴明の象徴的印である五芒星の星マークはあらゆる魔よけのお札として重宝された。特に弾除け(多魔除け)の意味から旧日本陸軍・軍服の階級章マークとして採用されていたのは有名なエピソード。

(5) 平安京
西暦794年、唐の長安の都をイメージして建設された東西4500メートル、南北4700メートルの都。平安京への遷都の理由は、謀反の濡れ衣により自殺に追い詰められた早良(さわら)親王による祟りが原因と考えられている。その惨状(落雷、豪雨、干ばつ、飢饉)の激しさから桓武天皇は、僅か10年で長岡京を捨てる決断をした。新しき都は、北に山があれば玄武、東に川があれば青竜、西に大道があれば白虎、南に池があれば朱雀が置かれ土地を守護する、陰陽道「四神相応」の概念により建設が行われた。更に、鬼門の方角・比叡山に延暦寺を置き、平安京の周囲を神社仏閣で埋め尽くし、その上、都の正面には朱雀門を挟んで右に西寺、左に東寺を配置している。平安京は、桓武天皇にとって弟・早良親王の怨霊から自分自身を護る、あらゆる霊的防衛手段を張り巡らした究極の要塞都市であったといえる。平安京遷都の基本概念となった「四神相応」は、本年築城400年を迎えた江戸城も同様の理念により建設が行われた。

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・「陰陽師」の世界・用語
映画「陰陽師II」の謎を解く8つのキーワード
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