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容疑者Xの献身
銀色のシーズン 公開終了
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◆プロダクションノート

■『海猿』の撮影中に早くも始まった『雪猿』の構想
そもそも『銀色のシーズン』の話がのぼったのは03年の夏、羽住英一郎監督が『海猿』を撮影している時だった。ROBOT堀部徹プロデューサーより次の企画として打診されたのが「スキーを題材にした映画を撮れないか」という話だったのだ。しかしその時点で羽住監督は、スキーは全くの未経験者。そんな羽住監督の心を動かしたのが海外のスキー場で堀部Pが見たという“No guts, No glory. Go for it!”(根性なしに、栄光なし。行ってみろ!)の立て看板の話。そこは全く整備されていない崖のような急斜面で、日本ならば「(ここで滑る場合は)当ゲレンデでは一切責任を持ちません」と書いてあるような場所にブラックダイヤモンドマーク(エキスパートコースの意味)と共にその言葉が書かれてあったのだという。「ゲレンデは初級者、中級者、上級者とコースが分かれている。それで自分のレベルに合わせてコースを選ぶわけですが、自分で自分の限界を決めて滑るというのが、何か人生にも通じるところがあると思ったんです。ときには、一歩踏み出す勇気をもって立ち入り禁止区域に入るのもひとつの道ではないかという、そんな話を聞いたときに、そういうテーマならスキー経験の全くない自分でも撮れるのではないかと思ったんです」(羽住監督)ちなみにシナリオハンティングで初めてスキーというものに接した羽住監督は、何度もゲレンデに足を運ぶことになったのだが、本当に初体験なことも手伝って、転んであばら骨を折ってしまったのだとか。監督いわく「(シナリオハンティングは)まるで修行のようでした。スキー教室に入れられて目茶苦茶怒られたりもしましたし」とのこと。そんな痛い思いをしながらのスタートだった。

■幻の脚本『血みどろスキー教室』!
最終的には青春娯楽大作となり、ラブストーリーや熱い友情、目の覚めるようなスキーアクションなどが取り入れられた本作だが、出発点はかなり違うものだった。まず羽住監督は2本のシナリオを生みだした。その1本目が監督いわく「凄いくっだらないバカ映画を目指した」という『血みどろスキー教室』。かなり危ない発明博士のもとに助手としてやったきた男の子の物語だった。次に考えられたのが『ロッキー』のような中年再生物語。かつてオリンピック代表のスキー選手だった男が、もう一度試合に臨もうとするシンプルなストーリーだった。しかしあまりにも若者向けではないということでボツに。そういった試行錯誤を繰り返しつつ、最終的に5年の歳月をかけて現在の形になっていった。

■出演オファー時には、スキーができなかった瑛太
この映画のオファーが瑛太のもとに来たのは05年のこと。だが瑛太自身もスキーは小さい頃に少し経験したことがあるくらいで、ほぼ未経験者に近い状況だった。「だからまずはスキーを好きになれるかどうかを試しに、5日間ほどスキーだけをするためにゲレンデに行ってみたんです。最初は全然ダメだったんですが3日目くらいから急に滑れるようになって。そこで初めてスキーの面白さを知り出演を決めたんです」(瑛太)今ではもうそのスキーがないとダメというほど、スキーLOVEな瑛太。実はこの撮影に入る前にドラマ「のだめカンタービレ」でバイオリニストの役を演じていたのだが、このスキーの練習で筋肉がつき、「のだめ〜」の衣裳がパンパンになってしまったりも。それほど徹底して練習を行ったため、実際のモーグルコースと全く同じコブだらけのコースを500人近くのエキストラの前で堂々と滑り切る快挙を見せた。監督からOKが出た瞬間に、ゴール前で待機していた田中麗奈、玉山鉄ニ、青木崇高らと抱き合って喜ぶ姿には、スタッフも爽やかな感動を味わった。

瑛太だけではない。玉山鉄ニ、青木崇高らもみっちりスキーのトレーニングを行った。「もちろん絶対に僕らではできないようなシーンもあったし、そのための吹替え用のスキーヤーもいました。けれども自分たちがどれだけ実際の滑りを自分のスキルで埋められるのか、その頑張りも求められた現場だったんですよ」(玉山)だから撮影が始まってからも暇さえあればゲレンデに足を運ぶという日々が続いた。「スキー自体は小学校の時にキャンプとか、中学校のスキー合宿ではやりましたけど、ボーゲンがせいぜいだったんです。でもこの映画用の練習は、いきなり一番頂上まで連れていかれて強引に下まで降りていくスパルタ方式で。毎日6〜7時間はそんなことをやってましたね」(青木)おかげで全員が上級コースも楽々滑れるような腕前に上達していった。また実際に瑛太がジャンプ台の上に立ち、途中まで滑走する様を撮影するなど、かなりスリリングなシーンを自らこなした。どんなシーンでも誰も監督に弱音を吐くようなことはしなかったそうだ。「でも一番大切にしてほしかったのは滑れるようになることで、雪山にいそうな奴らになってほしい。そういう人達の心を理解してほしかったんです」(羽住監督)

■白馬を中心にしたオールロケーション&異常気象
日本国中を3年かけて色々見て回った結果、メインのロケ地に決定したのが長野県の白馬村。白馬三山の美しさ、アルプスの景色もあってこの地に。もちろん雪山での撮影なので、天候の乱れは計算済みだった。「ひと冬で本当にピーカンになるのは1回あるかないかと最初は言われたんです。だから、そんな状態で映画が撮れるのかな、と心配になった(笑)。空は曇っているし、真っ白だし、どこを撮影しても景色が変わらないというようなことになるのではないかと。せっかくの美しい山もフィルムに収められないのではないかと心配でした」(羽住監督)

06年12月末にクランクインを予定していた本作だが、現地入りしてみると今度は別の問題が持ち上がった。それが観測史上初と言えるほどの異常気象=雪が降らないという状況。地元白馬村のご老人も「こんな現象は見たことない」と首を傾げるほど雪が降らない。降っても雨などになってしまうことがしばしば。2月中旬にどしゃぶりの、まるで夏の夕立のような雨が降った時には、さすがに羽住監督以下スタッフたちは肝を冷やしたという。おかげで、通常ならスキーを履いたままゲレンデから白馬駅まで行ける、と言われるほど積雪があるのに、撮影中はむしろチェーンを車につける必要が無いほどに全く雪がなかったのだ。当然のことながら雪は時が経つに連れてどんどん減り、ゲレンデでも土が見えるように。特にロマンティックな雪の教会周辺は、無残なほどに土が見えてしまっていた。

そこで撮影前に必ず行われるようになったのが、スタッフによる「雪集め&雪盛り大会」。撮影隊の各パートが機材を運ぶためのジャンボソリを持ち寄り、綺麗な雪を掻き集めて、土と混ざって茶色くなってしまった雪の部分に運び、白くする作業が繰り返されていく。監督まで手伝い、本当にスタッフ総出で作業が行われる。その作業で時間が取られ、撮影が思うように進まない。また雪を他の地域から運ぶようにもなったため、朝に準備を開始したものの、夕方近くまで撮影ができないというようなことも。もちろんその間、俳優陣は待機状態が続き、役作りのテンションを保つのがとても大変だったようだ。2月の雪山の中で半袖Tシャツ姿で汗だくになって雪集めをするスタッフたちの姿は、まさしく異常気象ならではの光景だったと言えるだろう。そして雪不足の影響で、最終的には長野県白馬村から移動し、カナダや北海道ニセコ町でも一部撮影が行われることになったのだ。

■世界中から集まった命知らずのスキーヤーたち
今回の作品は俳優たちが実際に滑っている場面も多いが、どうしてもプロの技が必要なシーンも。そのため、世界中から様々な特技を持つスキーヤーたちが集められた。例えば長野オリンピックで使われたジャンプ台“ラージヒル”でのロケ。銀が滑走してジャンプし、そのままパラグライダーで飛んでいくシーンが撮られたのだが、このジャンプ台をジャンプ用のスキー板ではなく、普通のスキー板で滑るという無謀なもの。「普通のスキー板でジャンプするのは、翼のない飛行機で飛べと言っているようなものですからね」と堀部Pも言う。そんな中で見事に本番一発OK。また次郎がスキーで道路上空をジャンプするシーンなども、まだ誰もそんな無茶なことをしたことがないため、プロの経験と勘だけで傾斜の角度を決めてトライ。数多くの、というよりもほとんどすべてのスキーアクションが未体験のものばかりだった。それを可能にしたのは、まさに命知らずのスキーヤーたちだった。

■地球温暖化とはいえ、雪山の頂上は寒かった!
異常気象で雪がなくて困ったことの多い現場だったが、それでも頂上での撮影はハンパなく寒く、ピーク時にはマイナス15度まで体感温度が下がったとか。「僕はこのシーンの撮影が一番辛かった。その寒さの中で2時間も撮影待ちをしたんですから」(玉山)もう寒いという感覚を通り越して足先や鼻が痛かったそう。しかも撮影が始まると日が沈むまでの戦いとなってしまい、昼食を取る余裕がない。制作部がつまみやすいように菓子パンなどを用意したが、寒さであっという間にシャリと音が出そうな冷凍パンになってしまったほど。スタッフの中にはあまりの寒さで眼鏡のフレームが割れる人まで出たほどだったのだ。一方、青木崇高は0度以下の池の水に入ることに。あまりの寒さに笑い続けるチョット壊れた彼の姿にはスタッフも同情気味だった。だが監督も負けてない。銀たちが、ひょんなことから水道管を傷つけて水が吹きだすシーンで、監督は自ら水の中にダウンコート姿のまま、真っ先に入り込んで演出を。その他、かなり勾配の強いゲレンデを誰よりも上ったり下ったりと体を動かしまくっていた。この“監督が一番体を動かす”というのは羽住組の大きな特徴のひとつだと言えるだろう。

■日本映画初採用の最新鋭の撮影機材・スパイダーカム
映画『スパイダーマン』などで使われたスパイダーカムが、日本映画で初めて採用されたことも、この映画の大きな見どころのひとつ。モーグルの大会シーンでこのスパイダーカムは使用された。「本来のスパイダーカムは町中などで使うほうが効果的なんですが、あのゲレンデの斜面ではスパイダーカム以外では撮影は不可能なんですよ。普通では撮れないカメラワークのものを撮影しています」(羽住監督)今回、このスパイダーカム撮影のためにハリウッドからのスタッフが参加。約10名がオペレへーターチームとしてスパイダーカムにつきっきりだった。この機材で撮られた迫力あふれるモーグルシーンは本編を見てのお楽しみ。
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